地域を支えるヒーローたち vol.4

第十四回 ~番外編~
地域を支えるヒーローたち vol.4

地元観光で出会ったステキな人たちをご紹介する「まんなか。番外編」。
今回は、7月・8月をまたいでご紹介した高畑精麦のおふたりをクローズアップ。
栄養たっぷりヘルシーな裸麦を、ここ善通寺市から全国に発信しているヒーローです。


高畑光宏さん

日本一愛される精麦メーカーに!社員を愛する社長の素顔 
株式会社高畑精麦 代表取締役社長 高畑光宏さん


 7月に決行した大人の工場見学で丁寧に案内してくださった高畑さんは、穏やかな物腰と優しそうな笑顔が印象的。休日はテニスやゴルフ、ジム通いを楽しむなどとってもアクティブで、旅行もお好きだそうです。「仕事柄、月の半分は県外に行ってるんですけどね~」と苦笑しながら、ほんとはもっと家庭サービスがしたいのだと、家族思いな一面も見せてくれました。
 そんな高畑さん、28歳までは東京で食用油の会社に勤めていました。ちなみに当時は弟さんも別の仕事をしていたそうです。高畑精麦は明治21年、食料問屋として曾祖父から始まった家業。代々受け継がれてきただけに、「兄弟のどちらかは(地元に)戻らないと…」という思いがあったと言います。30歳前後って、仕事がおもしろくなってくる時期。きっとさまざまな葛藤があったのだろうなと想像します。現在は弟さんも地元に戻り、同社の農業部門を担当。ブラザーズで高畑精麦を支えています。
 自ら選んだ道ではなかったかもしれない(いや、Uターンを決意した時点で選んだ?)。でも今は、「日本で一番信頼され、愛される精麦メーカーにしたい」というゆるぎない思いを持っていらっしゃいます。
 そうそう。やりがいを感じるのはどんな時ですか?という質問に、「社員の皆さんの笑顔が見られた時、お客様からお褒めの言葉をいただいた時、設定した目標が達成した時」と
答えてくれたんです。一番に“社員の笑顔”が出るなんて。工場見学で皆さんが笑顔で迎えてくれたことに、妙に納得したのでした。

高畑光宏さんの記事はこちら!
第十二回「善通寺市から全国へ!麦の工場を見学」



ふるさとの原風景と音楽を愛する、裸麦の第一人者
讃岐はだか麦本舗 店主 高畑実代子さん


 今思えば、あんなに他愛のない話で笑えたのはなぜだろう。小学校からの帰り、家までの道のりを友だちと歩くのが好きだった。そこにはいつもと変わらない風景があった―。
 誰もが辿ってきた子ども時代。毎日の何気ないシーンだけど、なぜか鮮明に覚えていることってありますよね。実代子さんにとっては、それが夕日に染まる穂が風に揺れる姿でした。この麦畑が裸麦だとを知ったのは、大人になってからのことです。
 地元の音楽科を卒業し、東京の大学へ。そのまま音楽に携わる毎日の中で一児の母となり、生活の基盤ができていました。地元に帰ってきた当初は、まだ東京に戻るつもりだったと言います。香川県は裸麦の栽培が盛んであり、記憶の中の麦畑はまさにふるさとを象徴する風景だったことを知るまでは。
 『讃岐はだか麦本舗』を立ち上げて2年。『高畑精麦』で精麦した裸麦を麦ごはん用裸麦やグラノーラとして商品化していく中で、裸麦にはみんなを笑顔にしてくれるパワーがあることに気づき始めた実代子さん。だから、香川県産裸麦の価値を全国に知ってもらいたい、裸麦に関わった人がワクワクし幸せになってほしい。東京に戻ろうという気持ちはいつしか、そんな気持ちに変わっていきます。「お客様はもちろん、この事業に関わる人たちの笑顔を見たときが一番やりがいを感じる」と話すご自身も、とってもステキな笑顔でしたよ。
 でも、音楽が好きなことは変わらないまま。休日はピアノを弾いたり歌ったりすることを楽しんでいらっしゃるとか。そして今でも思い出す、幼心に感動したあの風景…。
 実代子さんの夢は?「讃岐平野に美しく豊かな麦畑を残し、ずっと受け継いでいくことです」。

高畑実代子さんの記事はこちら!
第十三回「麦ごはんやグラノーラ。香川の裸麦を食べよう」