授決集 序文
| 仏教のこと
授決集敍
斯集元起者。比丘良勇自從童稚隨余添鉼。于今不歇。仍無所成。
年及不惑。而余已耄殘生無幾。若不貽訓恐損他功。
所以扶老抽出在唐之記。兼鳩附見之文。且獲五十四件以爲一本。分於上下名之曰授決集。
准南山論衡并祖大師戒論等。先列條目後隨次釋。
余以愚訥漏失師授。又缺渉獵。爲羞博才不敢呈他。
只祕與勇爲種智因。能尋唐草及己他文須整頓之。
爾迫百夕必埋壁底。勉勉旃旃。莫違寄金之恃。
日本元慶八年甲辰。二月二十三日甲寅。
前入唐尋教沙門圓珍故叙
以上「SAT大正新脩大藏經テキストデータベース」より
書き下し文
斯の集の元起とは、比丘良勇、童稚より余に随い鉼を添う。今に至るまで歇まず。仍て成す所無し。
年不惑に及びて、余已に耄たり。残生幾ばくも無し。若し訓を貽さずんば、恐らくは他の功を損せん。
所以に老いを扶けて、在唐の記を抽出し、兼ねて附見の文を鳩め、且つ五十四件を獲て一本と為す。上下に分かちて名づけて授決集と曰う。
南山論衡并びに祖大師戒論等に准じて、先ず条目を列ね、後に次に随いて釈す。
余、愚訥を以て師授を漏失す。又渉猟を缺く。博才に羞じて敢えて他に呈せず。
只だ秘かに勇と種智の因と為す。能く唐草及び己他の文を尋ね、須らく之を整頓すべし。
爾れども百夕に迫りて必ず壁底に埋めん。勉旃勉旃。寄金の恃みに違うこと莫かれ。
日本元慶八年甲辰。二月二十三日甲寅。
前入唐尋教沙門圓珍故に叙す。
現代語訳
この集を作るに至った経緯を述べる。比丘良勇は幼い頃より私のそばに侍して修法の給仕をし続け、今日に至るまで休むことがなかった。そのために修行や学問において成し遂げたことが無い。
良勇はすでに四十歳になり、私はもう老いてしまった。残りの命も幾ばくもない。もし今ここで教えを授けておかなければ、良勇がこれまで積み重ねてきた功績が無駄になってしまうと恐れる。
そこで老いた身をむち打って、唐にいた時の記録を引き出し、あわせて関連する文書をも集め、五十四件を一冊にまとめた。上下二巻に分けて「授決集」と名づける。
道宣の南山論衡および最澄祖大師の戒論などにならって、まず条目を列ね、順に解釈を加えた。
私は愚かで口下手なために師から授かった教えを忘れてしまった部分もあり、また学識も乏しい。博識な人々に見せるのは恥ずかしく、他人に呈示しようとは思わない。
ただひそかに良勇のために仏の智慧への因としたい。唐で書き留めた草稿や自他の文書をよく調べて、しっかりと整頓しよう。
しかしながら残された時間は僅かであり、必ずや秘して壁の底に蔵せよ。励めよ励めよ。この書を寄せる私の信頼に背くことのないように。
日本元慶八年甲辰、二月二十三日甲寅
前入唐尋教沙門圓珍 故に序す
愚直に奉仕する良勇に対するお大師さまの深い慈しみの心が溢れてて感動しました????
