高祖天台大師御報恩講

受付 2024年12月23日(月) 金倉寺本堂にて
午前10時半~11時ころまで
※法要終了後、お弁当をお渡しいたします
日時 午前11時より約60分
場所 金堂(本堂)
御供 任意
授与品 御供、散華

天台大師さまの御遺徳を偲び、12月23日に 高祖天台大師御報恩講を行います。 法要終了後は、布教師による法話があります(約30分)。 皆さまのご参拝、お待ちしております。

天台大師さまの生涯

天台大師さまは大同4年(538)荊州(湖南省)華容県に生まれられました。 誕生したときに家が輝いたことから、幼名を光道(こうどう)と名付けられ、 7歳のころより寺院に通い、1度聞いた経文は忘れることがなかったといいます。

18歳で出家、23歳のときに光州大蘇山にて南岳慧思(えし)禅師のもと修行し、法華経に基づく修行法に励まれました。

31歳のときに慧思禅師より金陵(南京)へ行くことを命じられた天台大師さまは、金陵の地で経典の解説だけではなく、坐禅による実習を合わせた講義を行いました。坐禅の講義は、後に『天台小止観』としてまとめられ、 坐禅の教科書として、宗派を問わず現在でも用いられています。

太建7年(575)38歳になられた天台大師さまは、修行をより深めたいと考えられ、 天台山に入り仏隴峰(ぶつろうほう)に草案を結んで、頭陀行に入られました。

至徳3年(585)には、陳の永陽公の要請に応じられ48歳で下山、再び金陵に出られました。

禎明3年(588)に陳は随の滅ぼされたため、天台大師さまは戦乱を逃れるため、 荊州、湘州を巡り、廬山に入られました。

開皇11年(591)要請により、天台大師さまは晋王公に菩薩戒を授けられ、 智者の号を贈られました。

58歳になった天台大師さまは、天台山に戻られ、荒廃した山中の修復につとめられました。2年後の開皇17年(597)11月24日、度重なる晋王の要請に応えるため、天台山を下ろうと西門石白寺まで来られたところで入滅されました。