鉄道発祥の町、多度津町の昔話~前編~

第二十九回「鉄道発祥の町、多度津町の昔話~前編~」

少林寺拳法の総本山や桜の名所・桃陵公園などで知られる多度津町。港町ですから、造船も有名。伝統的な石垣が残る高見島は、瀬戸内国際芸術祭の舞台にもなりました。

そして、JR四国唯一の車両工場「多度津工場」がある鉄道発祥の地。そのシンボルとしてJR多度津駅に保管されているSL列車は、鉄道ファンならずとも見とれちゃいます。


SL列車

今さらですが、この町が“鉄道の町”とか“国鉄の町”と呼ばれていた頃のことが知りたくなりました。

町のことならやっぱり地元の資料館!というわけで、町制施行100周年を記念して開館した「多度津町立資料館」へ。
教えてくれたのは、多度津町民としてまち歩きなどの地域活性化事業にも携わる川元紀惠館長。やわらかな笑顔が印象的な女性です。

さて、時は天保9年。
第5代多度津藩藩主・京極高琢が、瀬戸内屈指の立派な港(現在の多度津港)を完成させたことに始まります。
多度津港から善通寺を経て琴平に続く道は、讃岐を代表するこんぴら街道の一つ。当時は金刀比羅宮への参拝が一生の宿願といわれており、元々賑わっていた地域なんです。

港の誕生で人や物資の動きがより活性化した多度津町。河川では困難だった大型船の出入りも可能になり、はるばる北海道からも海産物が運ばれてきていたそう。明治に入ると、一連の商売で財力を得た回船問屋などが地主になるケースもありました。
中でも、特に大きな財力を持った7軒は「多度津七福神」と呼ばれ、その財たるや、県内の高額納税者番付に7人全員が入るほどだったとか。お話を聞きながら、頭の中は金ピカの船に乗って豪快に笑う神様たちが(笑)
妄想はさておき、この七福神なくして多度津町が鉄道発祥の町になることはなかったのかもしれないのです。

「そうだ、鉄道を引こう」

なんて大胆な構想を立てたのは七福神の一人、景山甚右衛門さん。後に「讃岐鉄道の父」と謳われる香川の偉人です。

賑わっている港町もまだまだ田舎。どこからそんな発想が?と不思議に思いますよね。どうやら、若い頃に訪れた東京で蒸気機関車を見たのがきっかけらしいです。
船と違って天気に左右されず、時間通りに、一度にたくさんの人を安全に運ぶ蒸気機関車。これからの時代は鉄道が主流になるだろう、と。

ないものを生み出すことは、並大抵のパワーではありません。彼にあったのは先見の明か発想力か―。
そして明治22年、待望の「讃岐鉄道」が開業。多度津を起点として丸亀・琴平までの線路が引かれたのです。
資料館には当時の路線図もあり、線路が延びている様子が分かります。



10年後には高松まで路線が広がり、現在の基盤となる路線が徐々に整っていきます。といっても主な利用者は金比羅参りの人々ですから、遠く離れた高松はしばらく赤字続きだったとか。あらら…
これをなんとかしようと、色々と試行錯誤した景山さん。この時代に食堂車を作り、袴を履いた女性のボーイを配したというのですから、先見の明もハイカラな発想力も両方持っていそうですね!

ようやく軌道に乗り始めた頃、当時勢力を持っていた山陽鉄道(現山陽本線)と合併し私鉄から国鉄へ。金比羅参りのためだった鉄道は、四国各地へと延びていきます。
ちなみに、多度津工場の近くには讃岐鉄道時代と山陽鉄道になってからの境界を示す石杭が今も残っているんですよ。



一人の男の構想から始まった讃岐鉄道。そして、ますます活気に満ちた国鉄時代。町を走る蒸気機関車は、地域の人たちの目にどんな風に映っていたのでしょうか。
興味津々の後編は次週!


多度津町立資料館
OPEN 9:00~17:00
CLOSE 月曜(祝日は開館)、祝日の翌日、年末年始
〒764-0002 香川県仲多度郡多度津町家中1-6
Tel. 0877-33-3343