新羅明神について01

金倉寺山門西隣に「新羅神社(しんらじんじゃ)」があります。
もともとは新羅明神(しんらみょうじん)と山王権現(さんのうごんげん)を合祀した新羅明神社でしたが、明治期の神仏分離令により「新羅神社」となり、素戔嗚尊(すさのおのみこと)を祭神としました。

※この記事はYUJ第16号(平成24年12月末発行予定)の草稿です。


新羅神社 鳥居

新羅明神は、智証大師さまと縁の深い神さまです。

智証大師さまが唐へ渡り、多くの経典を得て帰朝しましたが、その経典類を国家の文書を扱う中務省(なかつかさしょう)に納めることになりました。
さて、智証大師さまが比叡山の山王院(さんのういん)へと戻りますと、一人の老翁が現れて次のように語りました。
「中務省は大切な経論を納めるところではない。私が案内するから着いてきなさい。」

すると智証大師さまに唐へ行くことを勧めた山王権現が現れ、
「経典は山王院に置くほうがよい。」
と言って割って入ります。
「いや、ここは将来必ず争いが起こる。南へ数十丁離れたところに良い場所がある。」
と老翁が反論しました。
老翁と山王権現の争いは続きましたが、「とにかく老翁がいう場所に皆で行ってみよう」ということになりました。

さて、老翁に導かれるまま山を下り辿り着いた場所が現在の園城寺(三井寺)でありました。
智証大師さまは園城寺を再建し、お堂(現在の唐院)を建立し、唐より持ち帰った千余の経典類を納めました。

智証大師さまを園城寺へ導いたこの老翁こそ新羅明神であり、園城寺の北野に留まって園城寺を守護する神さまになったといわれています。
智証大師さまは現在の新羅善神堂を建てて、新羅明神を祀りました。

これが新羅神社の始まりといわれています。