古代インドの輪廻思想

盆経1日目が終了しました。
金倉寺の盆経はお勤め時間が20分程度、檀家さんとの世間話が10分程度、移動時間なども考慮して1日10件程度のお参りとなります。
年に1度の家庭訪問をしている先生の気分で檀家さんのお家を訪問していますが、もっとゆっくりとお話したいと思うのは私だけでしょうか(笑)

さて、お盆企画の「先祖供養」について(YUJ第6号)。
2日目は「古代インドの輪廻思想」です。


輪廻思想とは、人が死後、再び生まれ変わることで、仏教を代表する思想であるかのように語られますが、その源流は、仏教以前のインドのバラモン教にあります。
古代インドでは、次のように考えられていました。

人は死ぬと、魂だけが脱け出し、そのまま上空へと昇り始めます。
幾日かして、雲の高さまで上昇した魂は、雨と共に地上へと降り注ぎ、地中へ染み込みます。
その後、魂は植物によって地中から吸収され、その植物を食べた動物の種(精子)となり、再び生を受けると考えられました。

ここでは輪廻する主体を魂と呼びましたが、これをバラモン教では我(アートマン)と呼びました。
輪廻は生前の行い(業・カルマ)によって決まるとして、善行は良い業を、悪行は悪業を生むとする因果応報の思想によって、死生観を完成させました。
そして輪廻する世界は苦の世界であるとして、輪廻の世界からの脱却(解脱)を目標としたのでした。

この輪廻思想をさらに発展させたのが仏教です。まず輪廻を「生有(しょうう)」、「本有(ほんぬ)」、「死有(しう)」、「中有(ちゅうう)」の四つの期間(四有)に分類しました。
「生有」とは生を受ける瞬間、「本有」とは生を受けてから死ぬまでの期間、「死有」とは死ぬ瞬間、「中有」とは、死んでから次の生を受けるまでの期間です。
仏教ではこの中有の期間を7日、長くても49日と定めました。

当時より太陽暦を用いてたインドでは、暦の上で、7日、つまり1週間を1つの区切りとしていました。
このように7を基準に考えると、7進法になります。
7を7回重ねると、10進法の100と同じように、桁が1つ変わります。
これを満数と言います。

死後7日が7回来るまでの期間を、死者が次の生を受けるまでの準備期間であると考え、これを中陰(ちゅういん)や中有(ちゅうう)と呼びました。
そして満数である49日を満中陰と呼ぶようになったのです。


追記
こんなことをいうのもなんですが、私はこの古代インドの輪廻思想が一番しっくりくるのです(^^;)
仏教では魂の存在(我:アートマン)を否定します(無我→空)。
しかし、一方で前世からの縁など根深く信じられ、それを証明する話などがまことしやかに語られることもあります。
私自身、仏教徒として魂の存在は否定しますが、物質そのものを否定することはありません。
つまり、物質そのもののカタチに情報などが記憶される、という話が科学界にも実際にあるわけです。
有名なのは水分子が情報を記憶するというもの。
私自身この話を100%信じているわけではないですが、そうであればいいな、という立場です。
これが、人間を構成しているタンパク質やアミノ酸、DNAなどに情報が記録されており、その記憶が輪廻する、なんて考えたりするんです。
ファンタジーな話ですが、皆さんはどう思われますか?