日本古来の祖霊信仰

さて、金倉寺でも明日より盆経(棚経)です。
檀家さんのお家に回って、先祖供養を行います。
ということで?3年前に金倉寺寺報「YUJ」第6号にて書いた先祖供養の記事を4日にわたり紹介したいと思います。
以前の記事なので、いろいろとツッコミどころも満載だとは思いますが(^^;)

人は亡くなるとどうなるのでしょうか。魂は存在するのでしょうか。
魂があるとすれば、消滅してしまうものなのか、永遠に不滅のものなのでしょうか。
残念ながら葬送を執り行う僧侶といえど、この問題に対して、正しく答えられる者はおりません。それはお釈迦さまが、このような形而上学的問題に対して、答えることを拒否されたからです(これを無記といいます)。

この問題は、私達が「生きている」限り、想像するしかないでしょう。
そこで、過去に答えを求めてみましょう。
仏教が伝わる以前の日本の宗教を古神道といいます。古神道では、人の死について、次のように考えていました。

人は死ぬと、肉体から魂が遊離し、精霊となって山を昇っていきます。
精霊には二つの性格があり、一つは人に取り憑いて災いをもたらす荒魂、もう一つは雨や日光の恵みなどをもたらす和魂です。荒魂を供養することで和魂になり、清められた精霊を祖霊といいます。
一定の歳月を経ることで、祖霊は先祖神へと昇華され、山中に鎮まるものと考えられていました。

祖霊や先祖神は、盆や正月といった決まった季節に里に下りてきて、村人に福や恵みをもたらします。
このため村人は、先祖の精霊が祖霊や先祖神となるように、供養や祭祀を行うようになりました。これが先祖供養の始まりです。
これらの神々は、後に氏神として祀られるようになりました。
このように当時の日本人にとって、「死」とは生滅ではなく、神になるための再生でした。そして神となった祖霊は、里に下りてきて、村人に福や恵みをもたらすという、生と死が循環する世界観を持っていたのです。
このような祖霊信仰に対して、仏教はどのように関わってきたのでしょうか。

追記
ちなみに中西讃では、死者の霊は弥谷山に登ると考えられていたようで、このため、古くより弥谷山は霊山とされ、多くの修行僧が籠もったといわれています。
弥谷寺さんが古くより多くの納骨がされていたのもこのためかと。
うろ覚えですが、ある弥谷寺さんに県の調査が入ったとき、とある場所だけで6000余りの納骨?お位牌?が出てきたとか。
これは本当に記憶が曖昧ですので、ご興味がある方は直接弥谷寺さまへお問い合わせくださいませ(笑)