「空」と「無」

もっとも親しまれているお経といえば『般若心経』。
特に四国霊場のお参りといえば『般若心経』です。
『般若心経』は「空」の思想を説いたお経だといわれますが、そもそも「空」とは何でしょうか。
まずは混同されやすい「無」との違いについて、説明してみたいと思います。


まずは「無」ですが、この言葉は対義語として「有」があります。
つまり「無」とは「無い」状態です。
よく「心を無にする」といいますが、これは「心が無い状態にする」ということ。
つまり「心があることが前提」となるわけです。

このような心の状態について、天台大師さまは次のように説かれています。

もし心が無いものであるなら、心は無いのであるから、どうして心があり得ようか。
もし心はある者であるとするなら、これは過去・現在・未来のどこにあるとしたらよいのか。
もし過去にあるものであれば、過去とはすでに滅したものである。
どうして心だけあり得ようか。
もし未来にあるものであれば、未来はいまだ来ないものである。
どうして心だけあり得ようか。
もし現在にあるものであれば、現在は一刻として留まっていない。
つかまえどころがないものに、心があるということはできない。

つまり、心は生じたり滅したりするものであり、心を1つの相(かたち)としてとらえようとすることはできないと断言されています。
すなわち「心を無にする」とは「心の動きを無くす」ということ。
また、これを「空」というのです。

ではなぜ「空」というのか。
これは、「空」という言葉の使用法を考えると理解できるのではないでしょうか。
たとえば、「空席」や「空室」といった言葉たちです。
「空席」とは「空いている席」のこと、「空室」とは「空いている部屋」のこと。
どちらも本来使用されるべき「空間」が、使用されていない状態です。
これを心に当てはめると、「使用されていない心の状態」=「心の無」になるわけです。

意味としては同じですが、「無」というと「有」という対義語が立ってきます。
すると、言葉尻の追いかけごっこが始まり、本来の意味が分からなくなってきます。
そこで、「空」という言葉を用いるようになったのでしょう。


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