「あやつこ」と「帯祝い」

2回に渡って書いてきました「あやつこ」の歴史と由来。
3回目は「あやつこ」と「帯祝い」の類似点について書いてみたいと思います。
これが書きたいための前2回だったわけですが (^◇^)

安産腹帯

現在の帯祝いとは「妊娠5ヶ月の最初の戌の日に安産祈願をした腹帯を着け、家族で祝う」ものです。
この腹帯は妊婦の里方が用意するもの、と言われていますが、もともとは集落の長が用意しました。
つまり、帯祝いは集落全体で祝うものであり、集落の一員として迎える大切な儀式でありました。
そう、出生することで集落の一員になるのではなく、胎児の段階ですでに集落の一員として認められてしまうのです。
おおよそ、妊娠5ヶ月の安定期に入りますと、95%の胎児は無事に出生するといわれています。
人々は経験則によりそのことを理解しており、より早い段階である帯祝いをもって集落の一員として迎えたのでしょう。

すると、集落の一員として認める儀式であった「あやつこ」は、本質的にその意味を失うことになります。
一方で、帯祝いにはあやつこの役割も求められるようになります。
改めてこの2つの儀式を見返すと、集落の一員として迎えるということ以外にも、いくつかの共通点があります。
たとえば、あやつこでは子どもの額に朱色で文字を記し、神聖な存在とします。
一方で、帯祝いでは腹帯に仏名とその種字を記し、仏の子として胎児を守護します。
また、帯祝いは「戌の日」がよいとされ、その理由は「犬は多産で安産であるため」といわれています。
しかし、同じ十二支であればネズミ(子)の方が多産で安産なのでは?なんて意地の悪いことを考えてしまいます Ψ(`∀´)Ψ
そうではなく、あやつこで赤ちゃんの額に「犬」と書いた名残が「戌の日」として残ったと考える方が自然なように思います。
こうして本来、新生児を氏族の一員として迎える神聖な儀式であった「あやつこ」は、その役目を「帯祝い」に譲り、出産の報告とお礼参りを兼ねた「初まいり」となったのではないでしょうか。
すべては私の妄想であり、なんの根拠もありませんが (^O^)

3回に渡り「初まいり」と「帯祝い」をめぐる「あやつこ」の謎について書きました。
最後は私の妄想での締めくくりで失礼いたします m(_ _)m