小さいけれどグローバルな宿

第十回「小さいけれどグローバルな宿」

最近よく耳にする、ゲストハウスという言葉。ゲストハウスやドミトリーとは、アメニティサービスを省いた素泊まりの宿のこと。シャワーやトイレ、キッチンは共同です。瀬戸内国際芸術祭の影響もあってか、県内でも数年前から増えているみたいですね。

行き届いたサービスはないけれど、各施設それぞれに個性があってリーズナブル。また、宿泊客同士の交流が楽しめるのも魅力。そんな場所が、わが町善通寺市にもありました!とっても魅力的な「ミカサスカサ」というゲストハウスです。


金倉寺と松平頼豊

金倉寺訶利帝堂にある戸帳の損傷が激しく、昨年より修復にだしていたのですが、先週末に修復を終え、金倉寺へ戻ってまいりました。


訶利帝堂戸張

徳川家の家紋である三つ葉葵が入った荘厳な戸帳。
そう、高松藩主である松平家から寄進をいただいた戸帳です。
金倉寺訶利帝堂は高松藩主により再興されましたが、それには次のような物語がありました。

後の高松第3代藩主となる松平頼豊(よりとよ)の父、松平頼候(よりとし)は、初代松平藩主の四男として生まれ、高松藩に一藩士として仕えます。
子に恵まれなかった頼候は金倉寺の訶利帝母さまに子を求めると、その願いが叶い、頼豊を授かり安産でありました。
長男であった頼豊は父の家督を継ぎ、同じく高松藩士となるはずでしたが、父頼候はわずか26年でその生涯を追えってしまいます。
そのため、第2代高松藩主であった松平頼常(よりつね)の養子として迎えられます。
そこで母君は訶利帝母さまに頼豊の栄達を願うと、その願いも叶えられ頼豊は第3代高松藩主となりました。
この恩に報いるためと、頼豊は享保13年(1728年)に、金倉寺訶利帝堂を再興され数々の珍しい宝物を寄進したのでした。

その歴史を伝えるのが今回修復しました三つ葉葵の入った戸帳です。
実は修復にあたり、「三つ葉葵」が仇となり、2件の業者に断られ、3件目でやっと引き受けていただきました(笑)
そのため1年以上の年月がかかりましたが、また幾年も訶利帝母さまの頭上を飾ってくれることと思います。


讃岐和牛の牧場へ

第九回「讃岐和牛の牧場へ」

見事なサシと豊潤な味わい。ステーキも焼肉も、黒毛和牛は本当にほっぺが落ちる美味しさですよね。
今回は、香川県ブランドとして世界にPR中の「オリーブ牛」を生み出している畜産農家を見学。善通寺市原田町にある「塩田家畜人工授精所」へ行ってきました。