「YUJ」とはサンスクリット語で、「結ぶ、繋ぐ」を意味します。 YUJをご覧になった方とお寺が良い縁で結ばれることを願い制作しています。
2008年夏に創刊号を発行し、2010年冬第4号より年4回発行の季刊紙となりました。 金倉寺ゆかりの話から神話まで、神仏にこだわらずに興味のおもむくままに さまざまな話題を紹介していきたいと考えています。
YUJはこちらのページですべてご覧いただけます。 また実際に手にとってみたい方は、金倉寺本堂にて無料で配布しています。 また遠方で金倉寺への参拝がなかなか適わない方、定期購読希望の方も、 無料で郵送いたします。 どうぞお気軽にお申し込みください。

寺報「YUJ」

YUJ第7号「松平頼重」

室町時代末、足利幕府は求心力を失い、諸国の大名が覇権を争う、 いわゆる戦国時代に突入します。 讃岐の国も例外ではなく、およそ100年の間、兵火に見舞われ、 多くの寺社が衰退してしまいました。 これら寺社の衰退を哀れみ再興されたのが、 高松藩初代藩主であった松平頼重でした。

松平頼重は徳川御三家の一つ、水戸藩の長子として誕生しましたが、 事情により水戸藩の世嗣にはなれず、これを哀れんだ将軍家光によって 御三家に準じた待遇で讃岐国高松藩へと入封されました。

一方、金倉寺も檀家衆が中心となり、再興しようという動きがおきていました。 はたして金倉寺中興は成し得たのでしょうか。

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YUJ第6号「先祖供養」

夏と言えばお盆、長期の休暇ということで家族旅行される方も多いようですが、 一方で里へと帰省される方も多いでしょう。

ご両親の元気な顔を見に帰るのはもちろん、ご先祖さまへの挨拶も忘れてはいけません。 仏壇に手を合わせたり、お墓参りをしたり、と。 このようにご先祖さまにお参りをすることを先祖供養といいますね。 しかし、私達が手を合わせているご先祖さまとはいったいどなたなのでしょうか。

そもそも人は死後、いったいどうなるのでしょうか。魂は存在するのでしょうか。 存在するとすれば、その存在は永遠なのか、はたまたいつかは消滅してしまうのか。 これらの問題について、 当のご先祖さま達がどのように考えてこられたのか探ってみましょう。

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YUJ第5号「中務茂平衞」

遍路道や四国霊場の片隅にひっそりと佇む「しるべ石」。 遍路情緒を演出しますよね。 このしるべ石には四国霊場への道案内はもちろん、祈願や建立者の名が刻まれています。 しかしそのしるべ石を最も多く建立した人については あまり語られることはありません。

このしるべ石を生涯230基以上建立した人、それが「中務茂平衞(なかつかさもへい)」です。 茂平衞さんはまたへんろ人として、55年の間に279度の四国巡礼を達成されました。 そして茂平衞さんは金倉寺中興第12世松田俊順の弟子でもありました。

混乱の明治期をへんろ人として生きた中務茂平衞とはどのような人物だったのでしょうか。 また茂平衞さんが信仰した訶利帝母さまとはどういった仏さまだったのでしょうか。

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YUJ第4号「乃木希典」

日露戦争を舞台にしたNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」が放映されましたが、 この日露戦争の英雄といえば陸軍大将乃木希典と海軍大将東郷平八郎です。

実は乃木将軍、日露戦争の機運漂いはじめた明治31年、 新設された善通寺第十一師団長として、ここ香川県善通寺市に赴任され、 さらに乃木将軍は金倉寺を逗留所と定めて約3年間の生活を過ごされました。 そこでYUJ第4号では、「乃木希典が金倉寺で過ごした3年とは」をテーマに、 住職さんとのインタビュー形式で紹介しています。

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YUJ第3号『四国遍路』

四国霊場の88ヶ寺は弘法大師さまが開創、または中興したと言われるお寺が中心ですが、 金倉寺は天台寺門宗開祖智証大師さまの誕生寺であり、 開祖も智証大師さまの祖父です。

ではどうして金倉寺は四国霊場88ヶ寺の1つなのでしょうか。 智証大師さまと弘法大師さまが親戚関係であるためでしょうか、 それとも弘法大師さまが金倉寺を訪ねたという伝承があるためでしょうか。

その疑問に対し金倉寺独自の視点から取り組んでみましょう。

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