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金倉寺かわら版

ゆかりの人々

 金倉寺は宝亀5年(774)の創建以来、実に1,200年以上の歴史を刻んできました。金倉寺がそれだけの歴史を刻むことができたのは、多くの先徳による多大なる尽力があればこそでしょう。
 そこでこちらのページでは、金倉寺にゆかりのあった人々を紹介していきたいと思います。なお現存する史料の関係から、多くは江戸以降の人物が中心となると思います。

中務茂平衞茂平衞しるべ石(金倉寺山門前)義教

 中務茂平衞義教(なかつかさもへいぎきょう)さんをご存知でしょうか。22歳から78歳までの56年間で279度の四国遍路を満行された四国遍路の大先達です。
 四国遍路をされた方であれば、写真にあるよな道標石を見たことあるのではないでしょうか。この道標石をよく見ると「願主 中務茂平衞」の文字が見えます。
 そして茂平衞さん、実は金倉寺のお坊さんだったりします。

 茂平衞さんは弘化2年(1845)4月30日、山口県周防国大島郡椋野村(山口県大島郡周防大島町椋野)中務家の三男として生まれました。俗名は亀吉といいます。
 慶応2年(1866)、22才で故郷を離れて四国遍路を始め、明治10年(1877)金倉寺の松田俊順師(金倉寺中興12世)について得度、この頃に「茂平衞」の名を授かったようです。翌年には天台修験の霊山、富士山・大峯山・葛城山へと入峰修行されています。
  明治19年(1886)、42才で四国遍路88度目為供養として標石を建立、44才で100度目の標石を建立しています。明治24年(1891)10月20日には聖護院より僧としての度牒と「義教」の僧名を賜りました。その後の精力的に四国巡拝を続け、大正11年(1922)2月23日、高松市の久保ちか子方で遷化されました。

 師僧である俊順師は茂平衞さんのことを「訶利帝利生弘通の大行者」と評しています。茂平衞さんは遍路の道中に出会った人々の悩みを聞き、その悩み事を俊順師を通して訶利帝母さまに託されました。金倉寺に残る祈念帳のある日の記録では
  産子 百拾三人
  祈念 百十人 中司取次分
という文字が見えます。本当に多くの願いが茂平衞さんに託されていたことがうかがえます。人々にとって茂平衞さんは、生きたお大師さまだったのかも知れません。


 
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