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お寺にある素敵なものを、発信していきたい

 「YUJ」とはサンスクリット語で、「結ぶ、繋ぐ」を意味します。YUJをご覧になった方とお寺が良い縁で結ばれることを願い制作しました。
 YUJは情報誌という枠を越え、読者の方々からの意見を取入れながら制作する双方向型のコミュニケーションツールへと発展していきたいと思います。
 これからのYUJにどうぞご注目下さい。

YUJ第12号「創世神話」YUJ第12号「創世神話」

 日本国創世の物語として語られるイザナギとイザナミによる「国産み神話」。『古事記』によりますと、一番初めに生まれたのは淡路島でした。一方で日本国を支配した大和朝廷が置かれたのは畿内であり、『古事記』によれば8番目の誕生とされています。
 なぜ淡路島が最初に誕生したのでしょうか。YUJ第12号では、創世神話の特徴や大和朝廷と淡路島の関係よりその謎に迫り、「創世神話」が私たちに伝えてくれることを考察してみたいと思います。 

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YUJ第11号「般若心経」YUJ第11号「般若心経」

 仏教ブームといわれる昨今、書店にも一般向けの仏教書が目につきます。お寺の観光ガイドに混じりよく見られるのが般若心経の解説書です。少なからず仏教に興味をもつ方であれば知っている般若心経。この般若心経を手がかりに、仏教哲学である「空の思想」へと誘ってくれる書物がほとんどで、般若心経の真意は空であると考える仏教者も多くいます。
 しかし、般若心経の真意は別のところにあります。空の思想はその解説に過ぎません。
 YUJ第11号では、歴史的考察より般若心経の思想の変遷を追いかけてみたいと思います。

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YUJ第10号「乃木神社」YUJ第10号「乃木神社」

 大正元年(1912)9月13日、明治天皇の大葬の日であり、この日、乃木大将とその妻静子が明治天皇に殉じて自害し果てました。今年で九十九年目、百回忌の年にあたります。
 乃木夫妻の殉死は、国内にとどまらず、海外でも大きく扱われ、その誠忠と武士道の発揮を賛嘆しつつも、宗教上の理由や国禁の立場より、疑義を示されました。
 はたして乃木夫妻の殉死の理由、意義とはいかなるものだったのでしょうか。さらに神として祀られるようになったその理由とは。当時の識者の意見とともに、考えてみたいと思います。

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YUJ第9号「一言主神」YUJ第9号「一言主神」

 初詣には神社を参拝し、盆には仏壇に膳を供えて先祖を迎える。わが国の年中行事には、神道と仏教が入り交じっています。わが国の宗教の始まりとはいったいいつなのでしょう。そして、神道こそが、わが国固有の宗教なのでしょうか。
 わが国では、古来より、神聖視された山において、身心の鍛錬を行う山林修行者と呼ばれる人々が活躍しました。日本仏教の礎を築いた天台宗開祖の最澄、真言宗開祖の空海。そして、そういった山林修行者たちより、後に開祖と仰がれる宗教者が役行者です。
 その役行者と対立したと言われる葛城山の一言主神。なぜこの二人は対立したのでしょうか。そして、役行者とは、神と対立する存在だったのでしょうか。

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YUJ第8号「坐禅止観」YUJ第8号「坐禅止観」

 今では"zen"の語で世界に通用する「坐禅」。禅宗の思想、さらにはその修行を見事に顕した言葉ですね。しかし、この坐禅は、何も禅宗だけのものではありません。天台宗では止観といい、真言宗では三昧ともいい、そもそもその起源はお釈迦さままで遡ります。
 しかし、現在日本で坐禅と言われるそれは、ひとつの共通の人物、並びに書物に帰結してしまいます。それが天台大師智であり、『摩訶止観』です。坐禅と止観、この二つは何故、分かれてしまったのでしょうか。

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YUJ第7号「松平頼重」YUJ第7号「松平頼重」

 室町時代末、足利幕府は求心力を失い、諸国の大名が覇権を争う、いわゆる戦国時代に突入します。讃岐の国も例外ではなく、およそ100年の間、兵火に見舞われ、多くの寺社が衰退してしまいました。これら寺社の衰退を哀れみ、再興されたのが、高松藩初代藩主であった松平頼重でした。
 松平頼重は徳川御三家の一つ、水戸藩の長子として誕生しましたが、事情により水戸藩の世嗣にはなれず、これを哀れんだ将軍家光によって御三家に準じた待遇で讃岐国高松藩へと入封されました。
 一方、金倉寺も檀家衆が中心となり、再興しようという動きがおきていました。はたして金倉寺中興は成し得たのでしょうか。

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YUJ第6号「先祖供養」YUJ第6号「先祖供養」

 夏と言えばお盆、長期の休暇ということで家族旅行される方も多いようですが、一方で里へと帰省される方も多いでしょう。
 ご両親の元気な顔を見に帰るのはもちろん、ご先祖さまへの挨拶も忘れてはいけません。仏壇に手を合わせたり、お墓参りをしたり、と。このようにご先祖さまにお参りをすることを先祖供養といいますね。しかし、私達が手を合わせているご先祖さまとはいったいどなたなのでしょうか。
 そもそも人は死後、いったいどうなるのでしょうか。魂は存在するのでしょうか。存在するとすれば、その存在は永遠なのか、はたまたいつかは消滅してしまうのか。これらの問題について、当のご先祖さま達がどのように考えてこられたのか探ってみましょう。

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YUJ第5号「中務茂平衞」YUJ第5号「中務茂平衞」

 遍路道や四国霊場の片隅にひっそりと佇む「しるべ石」。遍路情緒を演出しますよね。このしるべ石には四国霊場への道案内はもちろん、祈願や建立者の名が刻まれています。しかしそのしるべ石を最も多く建立した人についてはあまり語られることはありません。
 このしるべ石を生涯230基以上建立した人、それが「中務茂平衞」です。茂平衞さんはまたへんろ人として、55年の内に279度の四国巡礼を達成されました。そして茂平衞さんは金倉寺中興第12世松田俊順の弟子でもありました。
 混乱の明治期をへんろ人として生きた中務茂平衞とはどのような人物だったのでしょうか。また茂平衞さんはどうして訶利帝母尊を信仰したのでしょうか。

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YUJ第4号「乃木希典」YUJ第4号「乃木希典」

 日露戦争を舞台にしたNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」も放映されておりますが、この日露戦争の英雄といえば陸軍大将乃木希典と海軍大将東郷平八郎です。
 実は乃木将軍、日露戦争の機運漂いはじめた明治31年、新設された善通寺第十一師団長として、ここ香川県善通寺市に赴任され、さらに乃木将軍は金倉寺を逗留所と定めて約3年間の生活を過ごされました。そこでYUJ第4号では、「乃木希典が金倉寺で過ごした3年とは」をテーマに、住職さんとのインタビュー形式で紹介しています。

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YUJ第3号「四国遍路」YUJ第3号「四国遍路」

  四国霊場の88ヶ寺は弘法大師が開創、または中興したと言われるお寺が中心ですが、金倉寺は天台寺門宗開祖智証大師円珍の誕生寺であり開祖も智証大師の祖父です。
 ではどうして金倉寺は四国霊場88ヶ寺の1つなのでしょうか。智証大師と弘法大師が親戚関係であるためでしょうか、それとも弘法大師が金倉寺を訪ねたという伝承があるためでしょうか。
 その疑問に対し金倉寺独自の視点から取り組んでいます。

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YUJ第2号「訶利帝母」YUJ第2号「訶利帝母」

 金倉寺には四国霊場で唯一、訶利帝母尊を祀る「訶利帝堂」があります。
 訶利帝母は別名鬼子母神ともいい、その子供は1,000人とも10,000人とも言われています。そのため子供を守護する神様として、また子授けや子安の神様としても各地で祀られています。そんな訶利帝母が日本で最初に出現したと言われるのが金倉寺です。
 どうして訶利帝母は日本で最初の出現地として金倉寺を選んだのでしょうか。

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YUJ第1号「採燈護摩」YUJ第1号「採燈護摩」

 金倉寺は智証大師の誕生時であり、智証大師は天台寺門宗の宗祖です。天台寺門宗の宗旨は三道融会といい、その最たる特徴は「修験」です。
 その修験の中でも秘法と言われるのが「採燈護摩」です。その起源は神変大菩薩に始まり智証大師が広めた、といわれており、1,300年を経た現在まで師から弟子へ綿々と伝えられています。
 記念すべきYUJ第1号ではこの「採燈護摩」について解説しています。

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