お寺にある素敵なものを、発信していきたい
「YUJ」とはサンスクリット語で、「結ぶ、繋ぐ」を意味します。YUJをご覧になった方とお寺が良い縁で結ばれることを願い制作しました。
YUJは情報誌という枠を越え、読者の方々からの意見を取入れながら制作する双方向型のコミュニケーションツールへと発展していきたいと思います。
これからのYUJにどうぞご注目下さい。
YUJ第6号「先祖供養」
夏と言えばお盆、長期の休暇ということで家族旅行される方も多いようですが、一方で里へと帰省される方も多いでしょう。
ご両親の元気な顔を見に帰るのはもちろん、ご先祖さまへの挨拶も忘れてはいけません。仏壇に手を合わせたり、お墓参りをしたり、と。このようにご先祖さまにお参りをすることを先祖供養といいますね。しかし、私達が手を合わせているご先祖さまとはいったいどなたなのでしょうか。
そもそも人は死後、いったいどうなるのでしょうか。魂は存在するのでしょうか。存在するとすれば、その存在は永遠なのか、はたまたいつかは消滅してしまうのか。これらの問題について、当のご先祖さま達がどのように考えてこられたのか探ってみましょう。
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YUJ第5号「中務茂平衞」
遍路道や四国霊場の片隅にひっそりと佇む「しるべ石」。遍路情緒を演出しますよね。このしるべ石には四国霊場への道案内はもちろん、祈願や建立者の名が刻まれています。しかしそのしるべ石を最も多く建立した人についてはあまり語られることはありません。
このしるべ石を生涯230基以上建立した人、それが「中務茂平衞」です。茂平衞さんはまたへんろ人として、55年の内に279度の四国巡礼を達成されました。そして茂平衞さんは金倉寺中興第12世松田俊順の弟子でもありました。
混乱の明治期をへんろ人として生きた中務茂平衞とはどのような人物だったのでしょうか。また茂平衞さんはどうして訶利帝母尊を信仰したのでしょうか。
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YUJ第4号「乃木希典」
日露戦争を舞台にしたNHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」も放映されておりますが、この日露戦争の英雄といえば陸軍大将乃木希典と海軍大将東郷平八郎です。
実は乃木将軍、日露戦争の機運漂いはじめた明治31年、新設された善通寺第十一師団長として、ここ香川県善通寺市に赴任され、さらに乃木将軍は金倉寺を逗留所と定めて約3年間の生活を過ごされました。そこでYUJ第4号では、「乃木希典が金倉寺で過ごした3年とは」をテーマに、住職さんとのインタビュー形式で紹介しています。
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YUJ第3号「四国遍路」
四国霊場の88ヶ寺は弘法大師が開創、または中興したと言われるお寺が中心ですが、金倉寺は天台寺門宗開祖智証大師円珍の誕生寺であり開祖も智証大師の祖父です。
ではどうして金倉寺は四国霊場88ヶ寺の1つなのでしょうか。智証大師と弘法大師が親戚関係であるためでしょうか、それとも弘法大師が金倉寺を訪ねたという伝承があるためでしょうか。
その疑問に対し金倉寺独自の視点から取り組んでいます。
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YUJ第2号「訶利帝母」
金倉寺には四国霊場で唯一、訶利帝母尊を祀る「訶利帝堂」があります。
訶利帝母は別名鬼子母神ともいい、その子供は1,000人とも10,000人とも言われています。そのため子供を守護する神様として、また子授けや子安の神様としても各地で祀られています。そんな訶利帝母が日本で最初に出現したと言われるのが金倉寺です。
どうして訶利帝母は日本で最初の出現地として金倉寺を選んだのでしょうか。
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YUJ第1号「採燈護摩」
金倉寺は智証大師の誕生時であり、智証大師は天台寺門宗の宗祖です。天台寺門宗の宗旨は三道融会といい、その最たる特徴は「修験」です。
その修験の中でも秘法と言われるのが「採燈護摩」です。その起源は神変大菩薩に始まり智証大師が広めた、といわれており、1,300年を経た現在まで師から弟子へ綿々と伝えられています。
記念すべきYUJ第1号ではこの「採燈護摩」について解説しています。
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